雨傘模様


 さらさらと雨は降りやまず。
 屯所に吹き込む湿気を帯びた風に、沖田はため息をつく。
「鬱陶しいねィ」
 隊服がいっそう重く感じられる。
 こんな日には外に出たくない。楽しいことなど一つもない。
 そうだ。
 昔から、雨は嫌いなのに。


「そうちゃん、お稽古は?」
 姉の声に、顔を上げる。
「雨でさァ、姉上」
 不安げな瞳で、姉を見上げる。
「そうねえ……雨ねえ」
 暗い空を見上げて、姉が言う。
 びしゃびしゃと軒下に水滴を散らして、止みそうにない。
「傘を差して行けばどうかしら」
「………」
 総悟はうつむく。
 傘は先日、壊れてしまった。
 壊そうと思ったのではない。
 強い風に煽られて、骨が折れてしまった。
 差し方が下手だったのだ、と総悟は思う。
 大きな傘を扱うのが下手だったから、壊れたのだ。姉が大事にしていた一本だったので、その日のうちに言えなかった。
「姉上……」
 姉の袖を遠慮がちにつかむ。
「どうしたの?」
 優しい声が、今は痛い。
「ごめんなせェ……」
 声が小さくなる。
 けれど言わなければ。
「傘……おれ、壊してしまいやした……」
 袖をつかむ手に、ぎゅっと力が入る。
 うつむいたまま、視線をますます床に落とした。
 時間が経つほどに小さくなっていくような、しょんぼりした姿。
 その様子に、ミツバは困ったように笑う。
「そうちゃん」
「……」
 気が付けば姉が腰を落として、自分と眼の高さを同じにしている。
 さぞやがっかりさせるだろうと、苦しい気持ちで姉の顔を見た。
「そうちゃん、大丈夫よ」
 姉が、頭を撫でてくれる。
「傘は、小間物屋さんに行って、修理してもらいましょうね」
「……なおるの?」
「きっと直るわ」
 優しく笑う。
 柔らかな両手が、頬を包む。
「……あねうえ」
「だから、そうちゃん。安心して」
 総悟は涙が出そうになるのを、必死で堪える。
「ね?」
 それも全部お見通しの姉が、泣いちゃダメよというように顔を覗きこんできた。
 泣くまいと、きゅっと口を結んで頷く。
 そして今度は絶対に壊すまいと、心に誓った。

 それからどうなったんだっけ。
 ああ、そうだった。

 玄関から声がする。
「総悟。稽古行くぞ」
 呼んでもいないのに、土方の声がした。
 吃驚して、姉を見つめる。
「おい、いるんだろ?」
 愛想のない声に、玄関まで走る。
 そこには、自分の差してきた傘と、もうひとつ、小さな傘を持った土方が立っていた。
「それ……」
 小さな傘を指さして総悟が問う。
「ああ。近藤さんが、お前にって」
「……」
「嬉しそうに、納屋から掘り出してきて」
 近藤さんが、わざわざ。
 おれのために?
「それ差して、行くぞ」
 小さな傘を総悟に渡し、自分のはさっさと差して出発しようとする。
 慌てて総悟は姉の方を振り向いた。
「行ってらっしゃい、そうちゃん」
 にこにこと手を振ってくれる。
「行ってきます、姉上」
 姉に輝くような笑顔を見せて、総悟は玄関を出る。
 空に向かって、傘を開く。
 小さな傘は、軽くて扱いやすかった。
「うわぁ……」
 赤い、美しい色合いの。
 これは大事に差して行こう。
 絶対壊さないように。
 少し先で待ってくれている土方のもとに、駆けて行った。


 そうだった。
 その傘は結局総悟がもらって、大事に使い続けたのだった。
 姉の傘も無事に直った。
 なんだ、いい思い出じゃないかと思いきや。
 その後、差し方が下手だ、こう差せだ、あれに気をつけろだなんだと小うるさい土方と一緒に歩く道のりがとてもとても鬱陶しかったのだった。
 土方にしてみれば精一杯の親切心だったのだが、いかんせん子どもへの口調としては高確率で嫌われる高飛車な物言いだ。
 心配して言ってくれているのは後になればわかったことだが、その時は迎えに来てくれてありがとうと言う気持ちもなにやらどこかにいってしまい、結局お礼は言えなかった。
 言わない自分が悪いのか、言わせない土方が悪いのか。

 今でも沖田の傘の差し方は下手くそだ。
 差していても肩がぐっしょり濡れる。
 差している最中でも、帰宅した時でも、目ざとく見つけてうるさく言う人は今も昔も同じ。
 だから雨は嫌いだ。
 うるさく言われるのも鬱陶しいし、それに。


 沖田は外に目を遣った。
 庭の紫陽花が微かに揺れている。
 雨はさらさらと、止みそうにない。




20100708 itsukiyo


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