あたたかな


 秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、夕刻になると急に暗闇に包まれる。

 従業員二人は志村家での鍋大会に向かったため不在だ。
 事務所に一人でいると余計に肌寒さを感じる気がして、銀時はため息をついた。
 先刻まで依頼者の相手をしていたため、彼等と一緒に行けなかった。どうせ今から向かっても中身は残っていないだろう。
 特別な日、というには気恥ずかしい歳になって幾星霜。今日は10月10日だというただそれだけのことなのに、今年はどうも落ち着かない。
 何もない。メールも電話も直接の訪れも、何にもない。
 いや別に、何かを期待していた訳じゃない、という体にしたい。是が非でも。何もなくても涼しい顔をして、平常心でつまらない一日を終わらさなければならない。
 銀時は立ち上がり、自分一人のために夕飯を作るか、風呂に入って寝てしまうか、寂しげな選択肢のどちらも決めかねていたところに、階段を登ってくる騒々しい音が聞こえてきた。

「旦那ァ!」
 入り口を乱暴に開いて飛び込んできたのは、愛しのあの子。
「……沖田くん?どうしたの」
 嬉しいが、あまりにいきなりの事だった。
 いつも来るときは必ず携帯に連絡してから来るのに。
 全員で鍋大会に行っちゃってたら、我が家留守だったよ。
 なんて危ない。
 沖田はぜいぜいと息を切らして、膝に手をついて肩を上下させている。
 屯所から走ってきたのだろうか。藤色の小袖に袴の沖田は、髪もしっとり湿っている。
 汗のせいばかりではなさそうだ。
「濡れてるじゃん、髪の毛」
「あ、風呂入ってすぐ出てきたんで……」
「風邪引くって。夏じゃねーんだから」
「……」
 少し息が整ってきたのか、沖田は銀時に向かい、じっと目を見る。
「旦那」
「なに?どしたの?」
「お誕生日、おめでとうございやす」
 汗ばんだ額に前髪を乱して、ちょっと赤くなった頬で、嬉しそうに言う。
 銀時は息が止まるかと思った。
「え」
「遅れたけど。すいやせん」
「……そんなの、別に」
「それだけ、言いたくて。じゃ俺、帰りやす」
「えええええ!?」
 玄関先で話し、そのまま帰ろうとする沖田に驚き、とっさにその袖を掴む。
 冗談じゃない。久々なのに。
「旦那?」
「ねえ、なんで帰るの?今来たとこよ、君」
「出てくるって言ってなくて。もうすぐ夕飯始まるし」
「電話しなよ。夕飯はウチで食べたら?」
「……俺はいいですけど、でも旦那んとこは」
「あいつらいないから。今日は新八んとこでお泊まりだろ」
 じゃあ遠慮なく、と上がり込む。

「旦那ァ、電話貸して下せェ」
「どうぞどうぞ。……アレ、携帯は?」
「こないだの出入りん時踏んづけたら壊れやした」
「ふぅん」
「それの後かたづけが長引いてやしてね」
「そっか」
 黒電話から屯所に連絡する沖田の後ろ姿を眺める。
 忙しかったことと、携帯が壊れたのだという事実に少しだけホッとした。
 誕生日が目出度くなくなって久しいが、好きな子から電話もメールもないというのも、なんとなくがっかりしてしまうものだ。必死で気にしていない振りをしていたが、朝から度々携帯を開けては従業員に不審がられた。
 ……こんなことでホッとしてしまう自分が小さい男な気がするが、まあいい。
「ありがとうございやした」
 沖田が受話器を置き、振り向いた。
「ん。大丈夫?」
「山崎出たんで、適当に頼んどきやした」
 それなら大丈夫だろう。
 この子のことだから、仕事が一段落ついてすぐに飛び出して来たに違いない。
 携帯が無いから、直接言おうと。
 汗をかくほど、全力で走って。
 新八や神楽に遠慮して、すぐに帰るつもりで、それでも走ってやって来た。息を切らせて飛び込んできた姿が浮かぶと、堪らなくなる。  なんて、愛しい。
 出入りがあったってことは、なんか事後処理とか色々あるのだろうが、ジミー君なら怖い上司の人に上手いこと言ってくれると信じる。
「だから今日、プレゼントとか、そういうのはねェんですけど……」
 ばつが悪そうに言う沖田を、銀時はがばと抱き締めた。
「いらない」
「旦那?」
「沖田くんが来てくれただけで、銀さん死ぬほど嬉しい」
 両手で頬を包むと、湿った髪の毛の感触がした。
 鼻先を寄せて焦らした後、ちゅっと唇を奪うと、くすぐったそうな表情になるのが可愛い。柔らかく何度か啄み、そろそろ深く潜っていこうと甘く吸い上げたところで、ぐうと沖田の腹が音を立てた。

 二人は顔を見合わせてぷっと吹き出した。
「何か作ろっか。何がいい?」
 笑いながら銀時が言う。
「えっと、旦那の好きなやつ」
 沖田をソファに促し、自らは台所に向かう。
 ちょっと顔を赤らめながら言う沖田の表情はちゃんと捉えながら。
「誕生日だから?」
「そでさ」
 しかもなんか可愛いことを言っているので涙が出そうになった。
「銀さん張り切って美味しいの作っちゃうから、沖田くんは髪の毛拭いて。汗も。あったかくしてな」
 タオルを放ると、上手に受け取る。
「へーい」
 ソファに座り、ごそごそ拭いているのを確認して、銀時は台所に向かった。
 よし。
 なんかスゲーの作っちゃおう。
 なけなしの食材全部使って、渾身の力で作ってやる。
 明日からの食生活のことなど知るもんか。

 沖田が訪れる前までに感じていた肌寒さは、既にどこかへ行ってしまった。
 駆けてきてくれたこの子のために腕をふるおうと決めると、温かさばかりが胸に広がっていく。
 ああ。
 少し遅れの、なんて幸せな誕生日。




20081010 itsukiyo





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