歯医者に行こう


 キュイイイイイン。
 歯を削られる音が、こんなにも不愉快だとは。

 そんな事は知っていたけれど、心から耐え難い。
 麻酔をしていても、ゴリゴリと振動が伝わってきて涙が出る。
 いい加減、開きっぱなしの顎も限界だ。
「総悟、大丈夫か」
 診察台の傍らには、なぜかこの人。
 俺の左手をぎゅっと握り、心配そうに声をかけてくる。
 頷くと治療に差し障りが出ると思い、とりあえず目を合わす。
「大丈夫な訳ねーだろィ。もう嫌だ」
 と、心の中でつぶやいておいた。


 それはここ一週間ほどのことだった。
 初めは微妙な痛みだった。
 気付いてはいたが、知らないふりでやり過ごそうとしていた。
 いつもより歯ブラシを念入りに動かしていたのになぜか日々痛みは増していき、いつのまにか激痛に変わった。
 奥歯がズキズキ痛み、イライラは最高潮に達そうとしていた。
 歯医者に行くしかないのか。
 それは絶対嫌だ。
 でも痛い。
 しかし嫌だ。
 行きたくない。
 でも痛い。
 子どものようにぐるぐると思考が回り、解決をみない。
 日常の、自分を置き去りにして平気な顔をしている全てのことが憎かった。
 例えば憎い筆頭はこの人。
 不機嫌な表情で煙草をくわえて歩いているこの野郎。
「土方さん」
「おう。何だ総悟」
「死んで下せえ!」
「うお?」
 脇腹に一発くらわそうと思っていたのに、かわされた。
 何だよコイツ。
「何だテメエ総悟!!」
「......何でもないでさァ」
 攻撃をあきらめ、よろよろと去りゆく一番隊隊長の姿を、怒り半分呆れ半分で見送る土方。
 しかし、先ほどの沖田のいつになくキレのない動きを思い出し、あわててその背中を追いかけた。

「待てよ総悟!てめえ、どっか悪いだろ」
「頭が悪いのは元々ですが」
「それは知ってる。身体のことだ」
「うるせーな。アンタに関係ねえだろィ」
「関係なくねーよ!腹いせみたいに殴りかかられる俺の身にもなってみろや」
「......痛ェんですよ」
「どこが」
「歯が」
「.....なるほど」
 土方が口を開けさせ口腔を確認すると、右奥の下の歯が虫歯になっている。
 沖田の右頬に手を当ててみると心持ち腫れているような気もした。
「もういいでしょう」
 土方を押しやり、そっぽを向くが、涙目になっている。
 かなり痛いのだろう。
 そしてこんなに痛くなるまでにはしばらく時間がかかったはずだ。
「なんですぐに言わねえんだよ」
「言ったら連れて行こうとするでしょう」
「そりゃ連れて行くさ。オラ、行くぞ歯医者」
「嫌だ」
「嫌でも行くぞ。さっさとしろ」
「行きたくねえです」
「治らねーぞ」
「治らなくてもいい。行きたくない」
「痛ェんだろうが。行かなけりゃどんどん酷くなるだけだ」
「痛ェですけど、行きたくねーんです。嫌だ」
「......子供かお前は」
 いやいやと首を振り、行きたくないと駄々をこねる沖田に、土方はため息をついた。
 歯医者に行きたくない気持ちはわからないでもない。
 しかしこんな、涙目で痛みを堪えている状態を長引かせる気は、土方にはなかった。
「一緒に行ってやる。支度しろ」
「......嫌でィ」
「病室も入ってやるから」
「......嫌ですって」
「わかった。手ェ握っててやるから」
「......本当ですかィ」
「病院の帰りに好きなもの買ってやる」
「...本当の、本当に?」
「おう。行くぞ」
「......わかりやした」
 まるっきり子どもに対する駆け引きで、沖田の歯医者行きを勝ち取った土方だった。
 支度をさせている間に最寄りの歯科医に電話を入れる。沖田の気が変わらないうちに急いで病院を目指した。


 そして今に至るという訳である。
 歯医者にしてみれば、可愛い顔の青少年の診察に、目つきの悪いちょっといい男がくっついてきて、診察台の横でずっと手を握っているのだからたまらない。
 いや、別にいいのであるが、やっぱりそれは異様な光景だった。
「総悟、痛いか?」
 と聞けば、患者は涙目で返す。
 診療の邪魔になること限りなかったが、何か言うと面倒なことになりそうだったので放っておいた。

「次回の診察は来週になりますが、よろしいですか?」
 受付嬢は営業スマイルを心得ていたので、このおかしな患者と付き添いの男にも完璧な笑顔を向けた。
「ああ。それじゃ」
「ありがとうございました」
 寄り添うように出ていく二人を見送る。
 ものすごく呆れながら。
「土方さん」
 帰路、沖田が土方の袖を引っ張って言う。
「何だ」
「好きなもの買ってくれるって」
「ああ。何がいい」
「中村屋の月餅にして下せえ」
「バカか。甘いもんはしばらく控えろや」
「だって好きなもん買ってくれるって」
「言ったよ、言ったけど!お前さっき病院行ったばっかだろうが!」
「......じゃあ小手毬屋のあんみつセット」
「お前なあ...」
「ウソでさ」
「あっそ」
 本当はまだ麻酔が効いているので、甘いものどころではないのだ。
 土方が簡単に引っかかるので言ってみただけだ。
 来週また医者に行くのは気が進まなかったが、治療によって痛みから解放されることを思うと、沖田の機嫌は上向きになった。
 しかし、土方が本当に病室に入ってくるとは思わなかった。
 しかも本当に手を握っていた。
 医者や受付が奇異な目つきでこっちを見るのが楽しかったので、今回はヨシとしよう。
 噂が立つに違いないのだ。付き添っていた男は、あの患者を溺愛している変わった男だと。
 こんな奴「街の変な人」の二つ名が定着すればいい。
 そんでそれが水商売の姐さんがたの所まで轟けばいい。
 黙ってたら無駄に女が群がってくるのだから、それっくらいで丁度良いんだこんな男。
「土方さん」
「何だ」
「来週も連れてきてくれるんですかィ」
「そうじゃなきゃ、お前来ねーだろうが」
 土方は当然のように付き添うつもりだ。
「お願いしやすよ」
 沖田は愉快な気分でいっぱいだった。
 二人で通院して、ずっと手ェ握ってもらって、好きな物買ってもらって、さらに虫除けの噂までたつのだ。
 ......歯医者通いも悪くない。
 奥歯を削られるのは耐え難いが、有り余るお釣りがくるのだから。
 来週の治療が楽しみなくらいだった。
 治療の後だというのに鼻歌でも出そうな勢いだったので、隣の土方が怪訝な顔をした。
「さあ土方さん、帰りやすぜ」
 沖田は満面の笑みで、今頃病院で散々な噂を立てられているであろう男の腕を取り、軽快に歩き始めた。


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