道場の縁側。
空気は冷たいが、冬の日差しが降り注ぐ午後だった。
師走でも稽古を欠かさない門弟二人が、汗を拭きながら会話していた。
「なに、お前行ったことないの」
「……あるもん」
「夜行くやつだよ。除夜の鐘聞きながら行く初詣のこと言ってんの」
「ウチは元旦の昼間に行くんでさァ。夜は危ないって、姉上が」
「ふぅん、行ったことないんだな。まァ子どものやる事だから」
上から目線で土方が言う。
座っていても背の高い後輩をじっと睨みながら、総悟は悔しそうに口を結んだ。
総悟は夜の初詣には行った事がなかった。噂に聞くばかりであったが、常々行ってみたいとは思っていた。だが人混みは恐ろしい。
ミツバも総悟も人が大勢いる場所は好んで出かけない。迷子になりかけたことが何度もあるし、胡乱な者どもに声をかけられることも少なくない。まして夜なら尚更だった。身体の弱い美しい姉と小さな愛らしい弟が連れ立って出かけるには、あまりに危険が多すぎる。
「……だったら何でィ」
「連れてってやろうか」
「え?」
「夜行く初詣、連れてってやろうかって言ってんの。行ったことねーんだろ」
「土方さんが?」
「近藤さんも誘うがな。……嫌なら別にいいけど」
「行く!行きまさァ!!」
はしゃぐ総悟に、土方は目を細めた。
ミツバの風邪が抜けきらず、年末から調子が悪かった。
総悟の願いは一つ。
姉が元気になりますように。
今年の唯一の願い事を、是非とも叶えてもらわねばならなかった。
どうせお願いをするなら、艱難辛苦の量が多そうな夜に詣でた方がいいような気がした。
大晦日、日付が替わる少し前になって、土方が迎えに来た。
近藤の姿が無いので総悟問うと、忘年会で楽しみすぎたのか、酔いつぶれて起きなかったということだった。
明らかにがっかりした様子の総悟になんだかもやもやしながらも、土方は総悟を連れ、二人で出かけた。
寒い夜だった。
連れだってしばらく歩くうちに、この辺りでは一番有名な神社に着く。見渡す限りの人波。大勢が、除夜の鐘の響く中行列に飲み込まれる。
「土方さん、すげー人」
「だろ」
総悟が驚きの声をあげる。
こんな夜に出歩くのも、こんな人混みに紛れるのも初めてのことだった。
除夜の鐘と共に人々が行く。夜中だというのに灯りが並び、ぼうと照らし出される境内。
「行くか」
土方は総悟の襟巻きをきゅっと巻き直してやり、寒くないかと尋ねた。
総悟が大丈夫と頷くと、いよいよ歩く人々に加わった。
「はぐれんなよ、総悟」
土方の袖を握りしめ、離れないようにてくてく歩く。
寒さと人混みで息が苦しかったが、初めて見る光景が珍しいのか総悟の瞳はきらきら輝き、右や左を見上げては小さく声を上げていた。
流れはゆっくりだが、なにしろすごい人だ。
油断すると人にぶつかる。用心しながら歩いていると、ふと気付く。
「あれ、総悟?」
いない。
さっきまで側にいたのに、総悟がいない。
袖を握っていた筈の手の感触も、いつのまにか無くなっていた。
土方は辺りを見回すが、人の波に紛れてしまい、総悟の姿は見つける事ができない。
立ち止まる。
冷や汗がたらりと背を伝う。
ヤバい。
迷惑と分かっていながら、人の流れと逆に進む。
どこだ。
どこではぐれた。
どこにいる総悟。
ここで見失ったら、確実に迷子だ。いや迷子ならいいが、連れていかれでもしたら。
焦る土方が、さらに人混みをかき分けて逆に進もうとしていたその時。
「土方さん!!」
上から声がする。
見上げた土方の目に、沿道の脇の木の上に登った総悟が映った。
「総……ごっ、おま、何で」
行列を抜け、木の側まで行く。
息をきらせ、見上げると結構高い。しかし総悟は平気な顔をして、土方に向けて手を振る。
「お前、そこ、危ね……」
「行きまさァ」
気を付けて下りさせようとした言葉を遮り、総悟は両手を広げて、そのままジャンプ、急降下。
「うわァァァァ!!」
土方は目を見開いて、これ以上ないほどの反射神経を起動させ、降ってきたおちびさんを受け止めた。
なんだ。
なんなんだ。
危なすぎる。
何とか受け止めた。
受け止めたがしかし。
寿命が確実に縮んだと思う。総悟をキャッチした体制のまま、ぜいぜいと息を切らせる土方。
しばらくそのままだったが、息を整えると腕の中の総悟に向かい大声を出す。
「この馬鹿!あぶねーだろうが!!」
「えー?」
「どうすんだよ!俺が外したらお前怪我するとこだったじゃねーか!!」
大いに焦って怒る土方を前に、おちびさんはきょとんとしている。
「だって、土方さん」
「あん?」
「外さねーでしょう」
「はァ?」
「土方さんいるのに、なんで怪我するの」
驚いた風もない総悟に、へなへなと力が抜けていくのを感じた。
「あぶなくなんか、ねーですぜ」
そう言うと、総悟はにかっと笑った。
子どもの晴れやかな笑顔。
なんだこいつ。
なんで。
俺が抱き留めると信じて飛び降りたのか?
迷い無く、手を広げて。
俺に向かって。
土方は苔むした地面に座り込んだ。
「大丈夫ですかィ?」
「まーな」
気遣う言葉も余計に疲れる。誰のせいだと思ってるんだ。
「俺考えたの。高い所からだと見つけやすいかなって。俺あたまいー」
「………そうかよ」
「土方さんが迷子になるから、焦ったんですぜ」
「……俺かよ」
「置いて行っちゃ駄目ですぜ」
「そりゃ、すんませんでした」
ふてくされたように言う土方がおかしくて、総悟はまた笑った。
気を取り直し、また人の波に加わる。
今年一年の祈願をしなければならない。
大事な姉の、健康祈願を。
「手」
「ん?」
「手ェ、ちゃんとつないどけ」
「うん」
今度こそはぐれないように、小さな手をぎゅっと握りしめた。
柔らかく温かいその手が、自分の手を握り返してくる。
何の心配もないように、さっきと同じように小さなその顔は晴れやかだった。
「……お前さ」
総悟が見上げる。
「さっき怖くなかったのか?俺とはぐれて」
「……ちょっと怖かった。でも大丈夫な気がした」
「なんで」
「わかんない、けど」
「……ふうん」
無鉄砲な子どもではないのだ。だから、さっきのに土方は驚いた。
馬鹿な事もたくさんするが、思った以上に聡い所があるので、こんな人混みではぐれることが何を意味するかわからない筈はない。
それがこんな。
……頼みにされているということか。
はぐれたままにする訳がない。
受け止めない訳がない。
そんな風に思われているならば。
土方はもう一度総悟の手をぎゅっと握り、境内を進んだ。
総悟が帰宅すると、ミツバが笑って迎えた。
身体の調子が良さそうだ。もうお願いを叶えてもらえたのかと、総悟はどきりとした。
すごい。
やっぱり夜の初詣はすごいんだ。
ミツバが、年を越しちゃったわねと言いながら、蕎麦を注ぎ分けてくれる。
酔いの醒めた近藤も来ており、明日また皆で行こうなと笑う。
夜の初詣に行けた。
怖くなかった。
上手に参拝できた。
祈願はしっかり届いたようだ。
姉が笑い、近藤が笑う。
隣に土方もいる。手を握って、連れて行ってくれた。
蕎麦の湯気が視界を遮る。
部屋は暖かくてお腹が一杯で、ほわほわした気分になり、総悟は次第に目蓋が重くなっていくのを感じた。
ゆめうつつに、三人の話し声を聞きながら。
武州の一年が、また始まる。
20100101 itsukiyo