夕暮れ時、公園で人を待つ。
特に会いたい人でもないが、仕方がない。
夕風が鋭く頬を掠め、沖田は目を細めた。
唇が痛い。
相変わらず荒れている。
ちょっと動かすと血が出そうだ。
先日貰った薬用リップクリームをポケットから取り出し、塗ってみる。
メンソールの匂いが広がり、塗った側からじわりと傷が覆われるのを感じた。あまり使いたくなかったが、切れて痛いよりはマシかと仕方なく使っている。
仕方なく。
結局素直に使っていることに変わりはないのであるが、贈り主のことを考えると癪でどうしようもない。
「お待たせしちゃって」
「ああ、姐さん」
沖田がリップをしまいながら振り向く。
流行の柄の着物で近付いてきたのは志村妙だった。
「はいこれ。間違いなく局長さんに渡しておいて下さいね」
「今月の請求書ですねィ。確かに」
月末にはこうして、近藤が散財した末の請求書を受け取る。
スナックでの涙ぐましい大暴れの結果は、この紙一枚。毎月そうだ。なんと哀しいことか。
こんな悲哀を他の隊士に知られてはならぬとの副長の計らいで、沖田が妙から直接受け取るのが恒例となっていた。
確実に払ってもらうための手段だと妙は笑う。郵送では白を切られるので嫌なのだと。真選組に直接持って来ないのは仏心ゆえだと言うが、来たら来たで局長が騒ぎ出すのが煩わしいのだろう。
「またすごい金額だ……」
封筒から取り出して、沖田が目を丸くする。
「これ本当ですかィ?ちったあ松平のとっつぁんの方に多く回すとか、気配りして下せェよ」
「そんなのとっくに調整済みよ」
払える分を見越して請求していると言う。破産されては困るので(大事な金蔓、いやお客様だから)大変な額になった時は松平の方につけたりと、顔見知りだからこそのズルをしてやっているのだと恩着せがましく言われた。本当かどうかわかったもんじゃないが、とりあえず頷いておく。
「とにかくそれ、よろしくお願いしますね」
「はいはい。これから出勤ですかィ」
「そうよ。そちらは終わり?」
「ええまあ。……それじゃ」
用は済んだと踵を返そうとした沖田に、妙が声を掛けた。
「リップ」
「?」
沖田は足を止め、振り返る。
「リップ塗るんだなって思って」
首を傾げながら、意味ありげに妙が言う。
「ああ、さっきの。見てたんですかィ?」
「ふふ。男の子がリップ塗るのって可愛いわよね。あ、勿論男の子にもよるけど」
「そうですかィ。よくわかんね」
面倒くさそうに沖田が言う。
「ええ。私は好き。新ちゃんも荒れるんでいつも買ってあげるんだけど、絶対使ってくれないの。つまんないわ」
「……へえ」
「あら、こんな時間。もう行くわ。じゃあね」
「……じゃあ」
また来月ね、と手を振り妙は去った。
残された沖田は、いまだ立ったままでそこにいた。
そうか、あの眼鏡は使わないんだ。
買ってもらったものを、使わない、という選択肢があることに今更気付いた。
衝撃だった。
切れて血が出ても、唇ぐらいなんてことない。
そう言われたら確かにそうだ。
しかし自分は、使わずにいられなかった。
癪で気にくわなくて悔しかったが、使った。
貰ったそれを、唇に丁寧に塗った。
大事にポケットにしまった。
心臓がぎゅっと音をたてる。
苦しくてたまらない。
じゃあ元凶であるこのリップを使わなければいい。いっそ捨ててしまおうか。
……できるはずもない。
あっちにとっては些細な繋がりだが、それに縋り付かずにいられない自分を呪う。
否定しようもない事実だけがそこにあった。
20091110 itsukiyo
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