月夜に一杯



 月の出ている晩だった。
 夜道に怪しい影、ふたつ。

「土方さァん・・・眠い」
 土方の黒い着流しの袖を引っ張りながら、危うい足取りで屯所に向かうは一番隊隊長。
「馬鹿か。そんなんなるまで外で飲んでんじゃねェよ」
「ん・・・」
 沖田はもう片方の手で目をごしごしこする。
 返答もおぼつかない。
 さっきは袴の裾を踏んづけてつまずいていたし、かなり回っていることは間違いない。
 土方は沖田のそんな様子を見て、溜息をついた。


 屯所近くの繁華街に立ち飲み屋が開店したらしい。
 しがないサラリーマンからオシャレ侍、新し物好きの町娘までターゲットは幅広く、ちょっと粋な店構えで気の利いた肴を出す。
 酒も各種取り揃えてあるとのこと。北の日本酒から南の焼酎まで。あとカウンターには沖縄の古酒も隠してあるらしく、大将とのやりとり次第で秘蔵コレクションを出してもらえるらしい。
 昼間隊士が話しているのを、沖田が目を輝かせて聞いていた。
 沖田は酒が好きだ。
 子どものくせに、隊での飲み会では一番高い酒に真っ先に手を出し、誰より飲んだ。「鬼嫁」など気軽に買えない値段の一升瓶を平気でガバガバ空ける。
 道場時代に近藤が面白がってちびちび舐めさせていたのが原因だと土方は思っている。俺はちゃんと止めたので俺のせいではない、とはその話題になった時に必ず土方がふんぞり返って言うせりふだ。
 飲み会以外にも、沖田が自分の部屋で隠れて飲んでいるのは知っていた。それで満足してくれればいいようなものであるが、部屋では自分の買った酒に自分の買った乾きものしかない。一方、店に行けば酒と肴のコラボレーションが無限に広がるのだ。良い店と聞けばふらりと出ていきたくなるのは仕方のないことなのか。
 土方は立ち飲み屋の話題が出た時すでに嫌な予感がしていたが、夕飯に姿を現さず、さらにいつまでたっても戻って来ない沖田を近藤が心配し始めると、予感的中と胸の内でつぶやき重い腰をあげた。

 確かに良い店だった。
 安くて美味そうな肴、酒。
 立ち飲み屋ゆえ回転が速く、一人で飲む者、客同士で意気投合する者、それぞれが店を楽しみ、去ってゆく。
 そんな楽しい空間に、ゆらりと現れた目つきの悪い黒い男。
 その怒りのオーラに気付いた客は間違いなく引いている。
 男は客の一人を認めると、つかつか側に寄って行き、低い声で凄む。
「てめェ総悟。いつまで飲んでんだ」
 呼び止められた客は振り向いて、しかし驚きもせず、先程まで楽しく飲んでい た調子そのままにつぶやいた。
「あり?マヨの幻影が見えやす。・・・飲み過ぎたかな」
 男は眉間の皺を思い切り寄せ、客を睨んだ。


 隊務でたいそう疲れていたが、近藤さんがあまりに総悟総悟とうるさいのでわざわざ迎えに来たのだ。
 昼間のやりとりを聞いているので、行き先は考えるまでもなかったが、やはりというか当然ここであった。
 うんざりしながら店を覗くと、ご本人はつるつるの頬を上気させて、ご機嫌さんで飲んでいる。
 酒が入ると饒舌になる沖田は、周囲の客と談笑しながら好きな銘柄を次々に空けていた。
 それだけならいい。いい子で飲んでいるだけならかまわない。
 しかし、沖田が外で飲む時にはよくあることであるが、許せない光景が目の前に広がっていた。
 なぜか沖田の周りには男の客しかおらず、そやつらは皆沖田との距離が不自然に近い。
 あろうことか隣にいる男など手を沖田の腰に回している。
 当人は楽しくて気付いてないのか、ふりほどきもしない。
 されるがまま。
 ほっぺは赤くて可愛いし、酒が入ってニコニコしてるし、なんか周りの奴らは沖田に夢中の様子である。

 な、な、なんじゃこりゃー!!

 土方は最高潮にイライラしながら声を掛けることになったのだった。


「だから眠いって言ってんじゃねーか土方コノヤロー・・・」
「そういうのははっきり言えるんじゃねーか」
 結局嫌がる沖田を引きずるようにして店を出た。
 周囲の男どもを目一杯威嚇しておいたものの、土方の気が済むはずもない。
 店は一気に嫌な雰囲気になったようだが、代金は多めに渡しておいた。一時の客のことなどすぐに皆忘れるだろう。
「土方さんのおうぼう。俺ァ眠いんでさァ・・・」
 ろれつがまわらないかと思いきや、可愛くないことは明瞭に発してくれるのでまだまだ大丈夫らしい。
 しかし足取りは怪しく、危なっかしい。
 転ぶのではないかと思ったので、土方は沖田の腕を取る。
「ちゃんと歩け」
「・・・歩いてまさァ」
「そうかよ」
 全然歩けていないが、もう深くつっこむのも面倒だった。
 沖田の腕を自分の肩に回し、自分の腕のもう片方は沖田の腰に回す。
 くすぐったいようで、沖田はしばらく腰をもぞもぞしていたが、そのうち大人しく歩き始めたのでヨシとする。

「お前さあ」
「んー・・・」
 土方が語りかけると、沖田はだるそうに答えた。
 しゃべるのも面倒くさい様子であるが、ここは言っておかねばならないと土方は続ける。
「一人で飲みに行くのヤメロ」
「なんで」
「危ねーから」
「危なくねーです」
「危ねーよ。今日もヤバかったじゃねーか」
「何が」
 沖田は意味が分からないという顔をしている。
 こやつは全然気付いてないのかと、土方は頭を抱えたくなった。
 あんなに!野獣のような目をした男達が!お前を取り囲んでいただろうが!!
「・・・誰か一緒に連れてくか、屯所で飲め」
「うるせーなァ土方さんはいちいちいちいち」
「悪かったな」
「じゃあ次は旦那でも誘いまさァ」
「それは駄目だ」
 土方は瞬間却下する。
「はァ?」
「あいつは駄目」
 問答無用で却下だった。
 あの、いちいち気に入らない男がこれ以上総悟と仲良くなるのは御免被る。
「何ソレ。訳わかんねェ・・・」
 普段ならそのような横暴には百倍で返す沖田だが、今日はそんな元気も残っていない。本当に眠いらしく、目をぱしぱしさせて、足がもう真っ直ぐ前に出ないくらいになっていた。
「ほら、ちゃんと歩けって」
「歩いてますって。もー土方、オマエこそちゃんと持ってろよバカ」
 言っていることとやっていることが違っている。
 そのうち全くちゃんと歩けていない沖田が、ますます寄りかかってきた。
 達者なのは口だけだ。
「・・・ちゃんと・・・・るでしょ」
 いや、口も怪しくなってきた。
「おいコラ総悟、歩けってば」
「・・・」
 もう限界なのだろう。
 土方が支えていても、歩みは遅くなるばかりであった。
「・・・どうすんだよ。おんぶかよ」
「ん・・・」
 こくんと頷く沖田に、仕方がないとあきらめる。
 土方がしゃがんで背中を向けると、沖田がそのまま負ぶさってきた。
従順なのはいいが、酒のせいだということは承知だ。
 こんなんで一人フラフラ居酒屋で飲むなど、なんという無防備さだろう。
 土方は沖田を背負うと、大きな溜息をついて立ち上がった。


 誰もいない道をゆっくり歩く。
 沖田は眠ってしまったのだろうか、背中の主に温かい体温だけを伝える。
 静かな夜だった。
 「・・・ぶなくねーだろィ」
 ふと、背中から微かに沖田の声がした。
「あ?」
「だってどうせアンタが・・・」
 ごにょごにょと語尾がはっきりしない。
「総悟?」
「・・・」
 再びの静寂。
 寝言かよ。
 それにしてもどうしてくれようか。
 行くなと言われるほどに出かけてしまう子どもだから、またあんな目に遭うに違いない。
 顔だけなら十分可愛いくせに、飲むと更に可愛くなってしまうのは自覚していないのだろう。
 全く。
 屯所ならば目が届くのだが、外だとそうはいかない。
 「GPSとか、どうだろう・・・」
 思いついたようにつぶやいてみたが、そんなもの大人しく携帯している沖田である訳がない。
 まあ、それでも。
 帰って来なければ、どうせその度探しに行くことになるのだろう。
 見つけられないように出かけるのではないのだから、見つけやすい(いや、土方が考え抜いて走り回った挙げ句見つけるレベル)ところで飲むに違いないのだ。
 そしてその攻防が沖田を安心させているならば。
 それなら、自分は見つけなければならない。
 土方はそう思った。
 そう、どんな手を使ってでも見つける自信がある。


 もうすぐ屯所だ。
 月が明るい。
 総悟を布団に寝かしつけたら、一杯やろう。
 こんな夜によく合う、あの酒は残っていただろうか。
 あの、きりりと辛い、北陸の酒。
 先日開けた日本酒に考えを巡らせながら、背中の子どもと共に月の照らす道を往く。
 夜道に映る影はひとつ。



20070617 itsukiyo


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