銀時が目を覚ますと朝だった。
がばと起きあがると、隣で眠っていたはずの総悟がいない。布団の、総悟が居た辺りを確認するが、既に温もりは残っていなかった。
とりあえず家中探したが、姿がない。押入に神楽が寝ているのだけ確認した。
もう一度部屋に戻ると、机の上に広告の裏の走り書きが残してあった。
「ありがとうございやした。チャイナが戻ってくる前に帰ります」
神楽に遭遇しなかったということは、夕方ぐらいだろう。
自分で帰れたということは、だいぶ良くなったんだろうか。
いや、そんなはずはあるまい。
銀時は寝とぼけてしまった自分を罵りながら、とりあえずシャワーでも浴びようかと風呂場へ向かった。
かさかさと葉擦れの音が聞こえる。
屋外の風はさぞや冷たいのだろう。
廊下を隊士たちが急ぎ足で行き来する気配もする。
月末の繁忙期だ。誰もが業務に勤しんでいる、そんな音がした。
そういった音の全ては、ひどく遠くから聞こえるようだった。
健やかな外界の音と自分との間には、ひどく距離があるように思われる。
聞きながら総悟は、寂しさを感じた。
一人で聞いていて心許なくなってしまうのは、江戸へ来てからは常の事だった。その度、総悟はそんな自分を情けなく思うのだった。
入るなと言ってあるので、いくら勤務時間だからとはいえ、誰も総悟の部屋を覗く者はない。勤務時間を厳守しないのはいつものこと。深くつっこむ者もないまま、放って欲しい時には放っておいてくれるのが屯所の良いところだ。
銀時の部屋でしばらく休み、夜になる前にそっと屯所に戻って来た。
薬を飲んで一晩寝ていたら治るであろうと思っていたが、甘かった。朝、起きあがることができず、体温計を銜えたら自分でも驚くような数値が出た。夕方の冷気にあたったのが災いしたのか。
真選組はちょうど事務関係が忙しい時期で、出入りの様子もない。サボっていても、誰も取り合わないでいてくれるであろう。起こしに来た隊士に適当な言い訳を告げて、休むことにした。
外界の音を聞きながら横になっていると、昨日の銀時のことが思い出された。
「甘えてほしい、か…」
笑みがこぼれる。
優しい人だ。
自分みたいなのと付き合うな、などと言いつつ、結局は甘い人。
出会って最初は遠ざけようとしていたくせに、だんだんと気安くなってきて最近ではあの調子だ。
「そんなんだから、俺みたいなのにつけ込まれるんですぜ」
昨日はその甘さに便乗して添い寝までさせてしまった。
やりすぎてしまったが、こんな事でもないとそこまでできない。
熱の出た子に拒絶はできまいと、無理を言った。
つくづく自分を性の悪い人間だと思うが、もう無いかもしれないこんな機会をむざむざ失うなんてできない。
優しいあの人の側で眠ることができるなんて事は。
案の定銀時は、困った風にしながらも言う通りにしてくれた。
「……得したなァ」
熱も悪くない。
しかし、解熱剤を飲む水を取りに行くのもままならないこのだるさは厄介だった。服薬しなければ治りが悪いのはよく分かっている。このまま寝ていても仕方がないので、ぐらぐらするこめかみを押さえながら、水を取りに布団を出ようとした時だった。
「沖田くーん。ちょっとー」
襖が開き、間延びした声がする。
ありえない。
ここは屯所だ。
信じがたい気持ちで目をやると、そこには。
「……旦那………なんで……」
どうして銀時が屯所の自分の部屋にいるのか。
「門の所にジミーくんがいたからさ、丁度良かったよ。遊びに来たって言ったらこっそり入れてくれた」
山崎は総悟と銀時が仲良しなのを知っている数少ない隊士の一人なので、気を利かせてくれたのだろう。それでも不思議そうにしている総悟にかまわず、銀時は部屋にずかずか入ってくる。
「沖田くんさー、俺の言うこと分かってなかったんじゃん。昨日あんなに力説したのに、何だよ。銀さん骨折り損じゃねーか」
後頭部をボリボリかきながら、総悟の布団の傍らに座る。
もう片方の手には紙袋を持っていた。
「寝てなよ」
「だって……旦那、どうして?」
銀時は紙袋を置くと、総悟の頬に手のひらを当てる。
「ばかだなァ、沖田くん。熱上がっちゃってるよ、コレ」
優しい目で言う。
「はァ……」
ばつが悪そうに総悟が目を伏せると、銀時はくす、と笑った。
「薬飲んだ?」
「いえ、まだ」
「そ。じゃあ、飲む前にだな」
「何です」
「これ食べてからな」
「?」
銀時は紙袋の中からがさごそと林檎を一つ取り出した。持参したらしい果物ナイフを使い、切り始める。
総悟は身体を起こし、尋ねた。
「旦那、それ、わざわざ?」
「いや、ちょうど小銭があったからさ」
目は林檎から外さず、何でもない事のように言う。
総悟は、彼が今週は金欠でジャンプも買えないと言っていたことを思い出した。そんななのに、どこから捻出したのか。メガネにでも借りたのだろうか。
「……ほら。うまくできねェけど」
目の前に差し出された林檎は、不格好だけど、うさぎの形をしていた。
「…………」
総悟は目を丸くして、銀時を見つめる。
「沖田くんの姉ちゃんほど上手には作れねーけどさ。一応うさぎ……のつもり、
なんだけど」
「………うさぎ」
「うん。うさぎの林檎」
うさぎと銀時を代わる代わる見つめながら、総悟は次第に胸の奥が締め付けられるのを感じた。
「あー、沖田くん。食べてくれると、嬉しいんだけど」
「……食べやす」
受け取って、一口囓る。
瑞々しい酸味が口に広がる。
もう一口、と続けて囓ると、乾いていたのどを潤すように、身体に染みていくのがわかった。
「おいしくなかった?」
「いえ、おいしい、でさ」
ふるふると首を振り、答える。
「だって沖田くん、泣いてるから」
「え」
自分でも気が付かないうちに、涙が流れていたらしい。
銀時の指が目尻をたどり、総悟の涙を拭う。
「…あれ?」
恥ずかしくなって自分で拭おうとしたが、その手を取られ、銀時に抱きしめられた。
「旦那?」
背に回された両腕で、ぎゅう、と力を込められる。
銀時の匂いがして、苦しくて、クラクラした。
「……旦那」
驚くほど細く、かすれた声が出た。
「沖田くん」
銀時の声も、聞いた事が無いほど余裕のない声だった。
「ダメだ。やっぱダメ。そういうの、俺がダメだから」
「……なにそれ」
「沖田くんが一人でしんどい思いしてると、俺がダメなの。昨日甘えてって言ったのは、沖田くんのためだけに言ったんじゃなくて、俺のためでもあるんだよね」
「………」
「大人になるっていうのはさ、一人で我慢することじゃなくって、周りの人の気持ちも尊重できるようになるってのも、そうなんじゃないかなってさ。……しんどい時、俺に言ってよ。俺のために。甘えて、頼むから。なあ、沖田くん」
「旦那……」
銀時の言葉を聞いているうちに、更に涙がこぼれてきた。
なんてこと言うんだろう、この人は。
どうして甘やかすようなことばっかり。
どうして。
「……好きだよ、沖田くん」
総悟は息を飲んだ。
「……」
「俺は沖田くんのこと、すごく好きで大事だから。……って……あー、なんだ、言うつもりなかったのに、ごめん。口すべった。やだったらさ、まあ、流してくれると嬉しいけど」
「旦那」
総悟は銀時から身体を離し、その顔を覗き込んだ。
銀時は痛いのを我慢するような表情をしている。
こんな顔を見るのは初めてだった。
「……旦那、あの」
「……ん?」
「あの、俺も。……俺も、旦那のこと、好きなんでさ」
銀時は驚いたように目を見開く。
しばらく口も開いていたが、総悟の真剣な、熱のせいばかりでなく赤く染まった頬を見ると、破顔して言った。
「うわ…。まじで?」
総悟は大きく頷く。
「俺、ずっとずっと旦那のこと好きで。……だから、旦那にまとわりついてたん
ですぜ。気付きませんでした?」
「ああ、そう……。そうか……」
銀時は総悟の行動に得心がいったように頷いた。
「仲良くしてくれるだけでいいと思ってたのに…嘘みてェだ」
「あのね、銀サン、気に入ってないとあんな側に置かないし。てか俺いつも劣情を我慢してたし。沖田くんこそ気付かなかったの?」
「肝心なとこで鈍いんですねィ、旦那」
「お互い様じゃん」
二人は顔を見合わせると笑った。総悟は泣き笑いになっていたけれど。
その後、ぎゅっと抱きしめ合って、頬を寄せ合った。
銀時が総悟の涙を舐め取り、そのまま目尻に唇を落としていく。
総悟はギュッと目を閉じ、されるがままになっていた。
銀時は唇を目尻から頬に移し、鼻と鼻をこすり合わせて様子を伺った。総悟が緊張しているのが分かり、可愛くてたまらない。それでも総悟が期待と共に唇をわずかに震わせているのがわかると、ようやく口付けた。
軽く触れた後、何度も啄むようにすると総悟もそれに倣って求めてくる。次第に深くしていくと、今度は戸惑ったように銀時の裾をぎゅっと握る。
たまらなくなって、総悟の左頬と後頭部に手をあてがうと、銀時は本格的に総悟の口腔を犯し始めた。
総悟の舌は甘く、口内は思ったよりずっと熱かった。激しく求める銀時に、総悟は拙いながらも精一杯答えていたが、しばらく続くと肩で息をし始める。
そこで銀時は、総悟が高熱で寝込んでいたことを思い出した。
「………ご、ごめん沖田くん!!」
ぐったりした総悟を抱き留め、そのまま布団に寝かす。
「旦那が、激しいからでさ……」
総悟は真っ赤な顔をして、息を切らしている。
やっちゃった、バカだな俺は、と反省している銀時に、総悟は恥ずかしそうに小さくつぶやく。
「……続きは、熱が下がったらお願いしやす」
「や、それもうこっちからお願いするから。頼まれなくても続きやるから。心配しないでいいから、寝ててよ」
笑って、総悟は目を閉じた。
銀時が布団を掛け直し、ぽんぽんとその上を軽く叩く。
静かになったのを見届け、銀時が布団から離れようとしたその時、眠ったかと思われた総悟が、口を開いた。
「旦那、俺……甘えて、いいですかね」
「うん。ノって、ソレさっきから俺がお願いしてることなんだけど。……いいよ。甘えてよ、沖田くん」
「こんなんじゃ、子どもん時と変わんねェですけど」
「いいんだって」
言いながら銀時は総悟の側に寄った。
総悟が布団から左手を出し、銀時に向けて伸ばす。
それを取って、両手で包んだ。熱を持った手の温もりが愛しかった。
「旦那……眠くなってきやした」
「うん」
とろんとした目蓋を見ると銀時は笑って、総悟の腕を布団に戻してやる。
上気している頬を撫で、今度は額に軽く唇を落とした。
「側にいるから、しばらくおやすみ」
「……はい」
いくらも経たない内に総悟は寝息をたて始めた。
その寝顔が安らかなものであることが嬉しかった。
それにしても、なんということだろう。
可愛いこの子が自分を好いていてくれたことが明らかになり、これからは自分に甘えてくれることも承諾済みだ。
今日からこの子を特別に大事にしてもいいのだと思うと、幸せで息が詰まりそうだった。
近くに、人の気配がした。
がさがさと新聞をめくる音。
ぼりぼりと頭をかく音。
自分の部屋に、誰かが居る。あたたかな気配。
無音になったと思うと、ひんやりした指先が頬をなぞり、額のひえピタが交換された。
「……だんな?」
薄く目を開くと、やはり銀時だった。
「ありゃ、起こしちゃった。ごめんね」
「ずっといてくれたんですか?」
「うん。そう言ったじゃん」
「言いやしたけど……」
総悟はそこで口をつぐむと、もの言いたげに銀時を見た。
「結構忙しくってな、ジミー捕まえて薬と水用意させたり、冷えピタ取り替えたり、玄関にあった新聞こっそり盗んできたり。あと沖田くんの寝顔見たりね」
「……はは。山崎にバラしちまったんですかィ?」
「軽くね。ゴリラとかへの口止めしといた。でも明日までに良くならなかったら、バラして病院行くから」
「明日までには良くなりまさ。……あ、薬」
なんだかんだと、解熱剤を飲んでいなかったことを思い出した。
「飲ませたよ」
「いつ?」
「沖田くん寝てる間に。口移しで飲ませといたから。いい子で飲んだよ」
「!!」
驚いて、総悟は顔を赤くした。言葉も出ない。
そんな記憶は無いけれど、枕元にはグラスに半分ほどの水と、空になった薬の包装が残っていた。しれっと言う銀時は確かにそんな事をしたに違いない。
「おかげでだいぶ引いてきたじゃん」
額に手を当てて熱の具合をみながら、銀時が言った。総悟の動揺を気にしている様子もない。
総悟は小さく溜息をつき、恥ずかしいことを平気でしてくれる人に、更に甘えることにした。
「……旦那ァ」
「なに?」
「……お腹減りやした」
「ホント?何食べる?お粥にする?」
嬉しそうにいそいそと立ち上がる銀時に、お粥がいいと告げる。
屯所で人目につかずどうやって用意するのかは疑問だったが、行ってきますと張り切って部屋を出た銀時は、とりあえず山崎を捕まえに行くのだろう。
目を閉じると、廊下を行き来する音がした。
そのうち銀時と山崎が何かしら会話をしている声が微かに聞こえ、次にばたばたと二人の足音が遠ざかっていった。
屋外からは、かさかさと葉擦れの音。
寒そうな風の音もする。
しかし、先刻感じた寂しさはもうなかった。
自分を心配してくれる大好きな人の存在は、こんなにも大きい。
「ねェ、旦那」
「んー?」
蓮華で粥を総悟の口に運びながら銀時が答える。
「旦那が病気の時は、俺がうさぎ林檎作ってあげまさ」
「えーホント?」
「うさぎにするの、得意なんですぜ」
「はは」
すくった粥に息を吹きかけながら、銀時は笑う。
「お粥もフーフーして食べさせてあげやす」
「こうやって?」
「そうやって。旦那がしてくれてるみたいに」
姉がしてくれたのと同じように。
銀時のうさぎ林檎や粥の冷まし方は、姉のそれと重なる。
この上なく優しい看病。
「うっそ、それスゲー楽しみ」
病気が甘い記憶になるくらいのあたたかさをくれる人。
今自分はもらってばかりだけど、でも。
それを目の前の愛しい人にもあげることができたら、どんなに幸せだろうか。
「でも旦那は風邪引かなさそう」
「まあね、あんま引かねーけど。……あれ、何かソレ馬鹿の称号をいただいた気にさせる何かがあるんですけど。気のせい?」
「へへ」
柔らかく微笑んで、総悟は銀時の勧めるまま粥を口に入れる。
総悟が美味しそうに食べる様子に、銀時は目を細めた。
ゆっくりと運ぶうちに椀が空になる。ホッとしたように息を吐き、椀を片づけて傍らに寄る。
「ごちそうさまでした」
「うん。えらかったね。全部食べた」
「美味しかった。お粥も、林檎も」
「お粥はね、得意だからアレだけど。林檎もまあ、うさぎにする練習しとく」
「はは。でっかいうさぎにして下せェ」
「りょーかい」
「俺も、お粥練習しときやす」
「うん」
「林檎もたくさん、うさぎにしやす」
「……うん」
「呼んで下せェよ、旦那。病気になったらすぐに」
「はいはい」
「本当ですぜ」
「わかったから」
しょうがないなと笑って、銀時は総悟の頭に手を乗せた。
細い髪の毛を何度か梳いて、その手はそのまま総悟の頬を撫でる。大きな手が触れる気持ち良さに目を閉じていると、ゆっくりと引き寄せられ、唇を柔らかく塞がれた。
愛おしむように丁寧に唇を吸われ、鼻の頭をこすり合わせて。
先刻のような激しさはないが、酩酊するには十分だった。
「沖田くんもね」
「?」
「沖田くんも、熱出たらすぐ言うこと。俺には。約束」
「……へい」
額と額をくっつけて、くすりと二人で笑った。
その手がくれる優しさに目を閉じながら、総悟は思う。
あたたかい気持ちを、大好きな人に差し出すことができるなら。
林檎をうさぎにして。
もらってばかりの愛情を、今度は。
あなたに。
障子越しの光は、ぼんやりと夕日のオレンジに染まり、暗くなりかけた室内を包んでいる。
再び横になるよう促され、布団を深く掛けられた。
寒くないかと尋ねる声に、大丈夫と笑って答える。
銀時が笑って頷いた。
胸が一杯になる。
何もかもが心に染みる。
総悟は何かを言おうとして口を開きかけたが、上手く言葉にならなかった。
風の音が甘く響き、ゆっくりと眠気に襲われる。
すぐ側の銀時の気配を感じながら、総悟はそっと目を閉じた。
20080315 itsukiyo
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