総悟は幼い頃から時折熱を出して寝込んだ。
病弱という訳ではなかったが、季節の変わり目に急に熱を出す。さっきまで走り回っていたかと思うと、いきなり赤い顔でしゃがみ込み、そのまま突っ伏してしまうので周囲が驚く。そういう人騒がせな寝込み方だった。
驚いた近藤やら土方やらが青くなって自宅まで背負って運んでやると、姉が笑って迎えてくれた。
布団に寝かせてくれて、水枕や薬湯の用意をしてくれる。
落ち着くと、食べたいものや飲みたいものを聞いてくれ、病気の時の好物を持ってきてくれた。熱が出たときに総悟が好んだのは、林檎のすりおろしと、温かい葛湯だった。
少し良くなると、林檎はうさぎに剥いてくれとねだる。姉は笑って、総悟の言うままにうさぎに剥いてくれた。
小さいうさぎばかり剥いてくれるので、大きなうさぎにしてくれと言うと、大きなうさぎはもうちょっと良くなってからね、と優しく微笑む。
総悟は姉の笑顔を見ると嬉しくなり、はぁい、と安心しきったで答えるのだった。
寝込むたびに姉が看病してくれるのが、総悟はとても嬉しかった。
昼間から部屋で寝ていなければならないのはつまらないし、身体もだるくて苦しいのだが、姉にあれこれと世話を焼いてもらうことはこの上ない喜びであった。
明るいうちから横になり、じっとしていると、普段は聞くことのない物音が流れてくる。
屋外の音が、総悟が横になった布団まで微かに届いた。
鳥の声。風の音。
近くを流れる小川の音。
行商人の声。
通りを歩く人の声。
うつらうつらとしながら、それらを聞く。
家の中からは、姉が洗濯や掃除、食事の支度をする物音が柔らかく響いた。姉は道具を丁寧に扱うので、聞こえる音もどこか優しい。それらは全て姉のたてる音なのだ、と思うと総悟は心から安心した。
この音を聞いているのは世界で自分だけだと思うと、たとえようもない満足感が総悟を満たす。
誰に自慢したい訳ではないが、ただ、最近道場に居着いた目つきの悪いアイツにザマミロと言いたい気分になる。
姉を独り占めできるので、病気もそんなに悪くない。
とんとんとん、と包丁の音がして、お湯が沸く音がする。いい匂いがしてしばらくすると、姉が廊下を歩く音がし、それがだんだん近づいてくる。
襖が静かに開く。
「そうちゃん」
優しい声。
世界で一番あたたかくて美しい声がする。
姉の冷たい手が総悟の額をそっと覆い、熱の具合を確認した。
「熱、だいぶ下がったわね。よかった」
姉がほっとしたように言い、傍らのお膳から粥の椀を手に取る。
「食べられるかしら。ね、そうちゃん、お粥」
「食べやす」
自分で十分食べることができるくせに、総悟は口を開けて待つ。甘えん坊だと笑って、でも姉は一口ずつ食べさせてくれた。
優しい優しい姉。
総悟の小さな頃の病気の記憶は、何より甘やかなものだった。
「…という訳で、子どもの時は熱が出るのが嬉しかったもんです」
布団の中から、総悟が言う。
「へえ。そうなんだ」
枕元では銀時が額の冷えピタを取り替えようとしていた。
場所は万事屋、銀時の部屋。
従業員二人が不在だというので、市中見回り途中の総悟が上がり込み、二人で駄菓子をつまみ、くだらない話をしては楽しく仕事をサボっていた時だった。
急に黙り込んだ総悟が、赤い顔でソファに倒れ伏した。
驚いた銀時が総悟を抱き起こし、額に手を当てるとひどく熱く、急ぎ自分の布団に寝かせた。電話を入れようとしたが、連絡先は119番か真選組かで逡巡していたところ、寝かせられた総悟から大した事はないのでどちらにも連絡はしないで欲しいと言われた。
大した事なくないんじゃないかとブツブツ言いながらも、銀時は言われるままにし、それならと万事屋でしばらく寝かすことにしたのだった。
一眠りした総悟は、少しは楽になったのか、側にいる銀時にぽつりぽつりと話しかけた。
「今でもよくあるの、急に熱出すの」
「……昔ほどじゃありやせんが、たまに」
「そういう時、どうしてんの」
「薬飲んで寝てたら大抵治るんで」
「一人で?」
「上手くいった時は」
「なにそれ」
「バレないように気を付けたりしてんですけど、たまにバレやす。最近は結構上手くやってたんですぜ」
今日は旦那にバレたけど、総悟は微かに笑う。
発熱を隠すよう努力していると言う言葉に、銀時は眉をひそめた。
周囲に気付かれなかった時は、一人で寝ているというのか。
なんて事だ。
「バレた時ってさ、誰が沖田くんの看病してんの」
「土方さんや近藤さんが。たまに山崎とか」
「ああ」
予想通りの答えが返ってくる。
「あの人ら大げさに騒ぐから」
銀時の頭には、ゴリラが泣きわめきながら総悟の布団の右脇に陣取り、左脇では渋面のマヨが耳温計を持って何度も何度も総悟の耳に出し入れし、ジミーがおろおろしながら部屋を出たり入ったりしている図が浮かんだ。
「……まあ、そうだろうなァ。大げさっていうの、わかる気がするけど。だから隠すの?」
「ええまあ」
「他にもあんの」
銀時がじっと見つめると、総悟は眼を伏せて言った。
「……甘えるの、ダメなんじゃないかって」
自分に言い聞かせるように、総悟は続ける。
「病気の時って、甘えたくなるじゃねェですか。いや、俺はそうなんですがねィ。でも江戸に来たんだし、子どもじゃねェんだし、熱が出たからっていちいち大騒ぎしててもダメなんじゃねえかって。昔みたいなのは、もう卒業しねェと」
「……」
この子は。
何を言い出すかと思ったら、この子は。
「旦那?」
銀時が身を乗り出し、両の手で寝ている総悟の頬を包んだ。そのまま自分の額を総悟の額に近づけ、ふるふるとすり寄せる。
銀時の手のひらが冷たくて心地よいのと、揺れる銀色の髪の毛がくすぐったくて、総悟は眼をぎゅっと閉じた。
しばらく額をこつんと当てて、銀時が離れた。
「……旦那ァ、どうしたんです?」
顔をさらに赤くして、総悟が小さく尋ねた。
「うん。熱計ろうかと思って。この家体温計ねェから」
今度は右手を総悟の額に当て、そのまま総悟の髪の毛を梳く。
「あのさ、沖田くん」
「へい」
「それってさ、隠したらダメな病気だと思うんだな、銀さんは」
「はい?」
「それね、熱が出るやつ、それって甘えたい時に出る熱じゃないかと思う訳よ」
「……え?」
「沖田くん、普段がんばってんだからさァ、熱が出た時くらい甘えないとダメなの。隠すとか言語道断だから。ここぞとばかりに優しくしてもらわねェと治りも遅いと思うよ。わかる?」
「はァ……」
いまひとつ分からない様子の総悟に、さらに銀時は続ける。
「熱が出た時くらいゴリラや土方くんに甘えとけよ。大げさでいいじゃん」
「……でも、あの人ら煩わすのやだし」
「いや、絶対看病したいって、あいつら!沖田くんのためにいろいろ騒ぐの、むしろ喜びだから!!」
「……そんなことはねェと思いやすけど」
「いや俺は喜びだから。さっきも冷えピタの交換しながら幸せをかみしめたから!」
「そりゃあ、旦那は変わってるから」
「なにソレ!」
ヒドい沖田くん、と泣き真似をする銀時にわざと溜息をついて、総悟は笑った。
「旦那、俺ね、一人で寝込んでると不安で寂しいっていうの、江戸へ来てからよくわかりやした。聞こえる物音もね、黙って聞いてると、世界に自分が一人取り残されてるって感じで、切なくなるんでさ。昔はそういう音にワクワクしたもんなんですけど。誰も側にいないと、そんな風になるんですね。でも、そういうの我慢できたら、少しは大人になれるんじゃないかって……、そう思って」
「……」
「病気が楽しい思い出なんて、俺は幸せな子ども時代を送ってたんですねィ」
熱が出ても苦じゃないのは、側に姉がいてくれたから。なにくれとなく世話を焼いてくれて、笑って甘やかしてくれたから。
その手を離して、今遠く江戸へ来た自分は、早く大人にならなければならない。甘えなくても立ち上がれるくらい、大人に。
総悟が語る言葉は、熱のせいかいつもより素直に発せられる。
総悟の考えや気持ちが彼自身から語られることは、ひどく珍しいことだった。
出会った頃から、なぜか総悟はひどく銀時に懐いた。旦那旦那とまとわりついて、時には面倒な事件に巻き込むこともあった。銀時の剣の腕や、垣間見える過去に一目置いていたこともあるだろうが、真選組の連中への態度とは違う、肩肘を張らないくつろいだ様子を見せることが多かった。
総悟の姉も言っていたが、銀時と土方は似ているという。どこがなのか正直さっぱり分からないが、まあ似ているとして、総悟の土方への葛藤が差し引かれた分、素直に銀時に対することができるのだろう。
銀時にしても、こんなに可愛い子どもにちょっかい出されて嬉しくないはずがなかった。
可愛いといっても顔だけではなく、わかりにくそうで面倒くさそうで、でもよく見ると真っ直ぐな気性の寂しがりなこの子を放っておくことができなくて、つい口や手を出してしまうのだ。
街で声をかけると嬉しそうに付いてくるのが、子犬のようだと思った。近藤の恋愛奮闘記や土方の悪口を話しながら、瞳がキラキラ輝くのが眩しいなと思った。
いつのまにか総悟の存在は銀時にとって大きなものになっていた。寂しい思いや苦しい思いは、できるだけさせたくない。
普段本心を明かしたがらないこの子の本心を垣間見ることのできる、滅多にない機会なのだ。
すこし覗くことのできたこの子の思いをくみ取ってやりたいと、銀時は強く思った。
「ねえ、沖田くん」
「はい」
「確かにさ、一人で我慢するのも偉いことなんだけど」
銀時は沖田を上から覗き込み、その頬をぺたぺたと触りながら言う。
「でも。沖田くんはさ、まだ子どもだから。俺がいいっていうまで、病気の時くらい甘えてよ。そうでなくちゃ、いい大人になれねェよ」
「子どもじゃねえです」
「ハタチまでは子どもなの。いくら働いててもダメだから。法律で決まってるから」
「……旦那から法律なんて言葉を聞くなんて……」
「そこつっこむ所じゃないから。素直に頷く所だから」
「……」
総悟は大きな瞳でじっと銀時を見つめる。
発熱のせいか、潤んだ瞳はいつもより深い光をたたえていて、銀時は落ち着かない気持ちになった。
「今無理して我慢しなくても、甘やかしてくれる手が無くなる時は必ず来るから。その時はしょうがないから一人で我慢しなよ。でも今は違うからさ。甘えていいよ。てか甘えてほしい。アイツらに甘えるのがアレなら、俺に甘えてよ。ね、沖田くん」
総悟は返事の代わりに、布団の中から両腕を出して伸ばし、銀時の頭を抱き込んだ。
「うわ!沖田くん!?」
バランスを崩した銀時は総悟に覆い被さる。
総悟を潰しては決してならないと必死で両手を付くと、総悟を押し倒した格好になった。
自分の下にいる総悟は楽しそうに笑っている。
「旦那ァ」
「はい」
「このまま、添い寝して下せェよ」
「え」
「甘えていいって言ったじゃねェですか」
「…確かに言いました。言いましたが」
嬉しいが盛大に困る申し出をされて、銀時が目を白黒させていると、総悟が可笑しくてたまらないように言った。
「ほら、旦那。男に二言はねェですぜ」
無理矢理布団に連れ込まれて、添い寝させられる。
総悟は満足げな顔をして、目を閉じた。
こうなってはもう仕方がないので、銀時も腹をくくった。
この子が寝付くまで付き合ってやろうじゃないか。
銀時が己の内なる獣と戦っている間に、総悟の息が次第に規則正しく、ゆっくりとしたものになっていく。安心しきった寝顔なのを確認すると、銀時の胸には達成感が訪れた。
我慢してよかった。うん。偉いよ俺。
充実した気持ちのまま、彼もまた静かに眠りの縁へ落ちた
20080315 itsukiyo
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