雪と彼らの行く道を


 曇空。
 冬の夕暮れは早い
 風が冷たく頬をなぶる。
 夕闇がそこまで迫っていた。

 河原を歩く人影がふたつ。
 そのうちのひとつは背中に子どもを背負っている。
「総悟。総悟。起きろ」
 背中で寝息を立て始めた子どもは、一向に起きる気配を見せない。
 雪がちらつき始めた頃から、地蔵のように重くなった。
「風邪引くぞ、総悟」
 子どもをおぶった土方は歩きながらも困ったように繰り返す。
「総悟。なあ、おい。......ダメだ近藤さん、総悟起きねェ」
「疲れたんだろう。よく寝てるな」
 隣で笑いながら近藤が言う。
「泣いたら疲れるからなァ。珍しく総悟大泣きしてたし」
「……」
 さらに困ったように、土方が目を伏せた。


 昼間、いつものように盛大な喧嘩を繰り広げた総悟と土方。
 土方が道場に顔を出すようになってからは、よく見る光景であった。
 最初こそ、何者をも寄せ付けぬ、といった風情の土方であったが、近藤と打ち解け、稽古に精を出すその姿に次第と周囲も彼を受け入れていった。

 始めから、総悟が土方を最も意識していたのかもしれない。
 年こそ下だが兄弟子である、との自負からか。いつのまにか近藤の一番近くにいるようになった土方が気に入らなかったこともある。
 幼い頃からこの道場にいた総悟にとって、この場所は実家より居心地がよい無二の居場所であり、近藤は父とも兄とも呼べる、温かく大きな存在だった。
 そんな自分の居場所に突然現れて。
 近藤に一目で気に入られて。
 みんなにも一目置かれて。
 それに加えて、姉上までも。
 急にやってきて何もかも横取りなんざ、ズルいと。
 そんな思いが、子どもなりの方法で毎日のように土方に直接ぶつけられていた。

「なんでィ。お前、近藤さんにべたべたすんな」
「なんだと?べたべたなんざしてねーよ。目ェくさってんのか、ガキ」
「ガキにガキって言ってほしくねーな。新参者は礼儀ってもんを知らなくて困りまさァ」
「うるせーな。お前ごときに払う礼儀なんざ持ってねーんだよ、くそガキが」
 子ども相手に、といつも近藤には笑われるが、売り言葉に買い言葉というか、どうも簡単に流せないのが、負けず嫌いな土方の性分であった。
 総悟にしても、打てば直球で返してくるこの男が憎たらしくて仕方がない。
 二人は真剣なのだが、ふたりの喧嘩は端から見ていると馬鹿馬鹿しくもほほえましく、見慣れた光景として放置するのが道場の常となっていた。
 そして頃合いを見計らって近藤が間に入り、仲裁してもらうと、それぞれの稽古だ用事だに戻るのであった。

 しかし、今日は笑いながら止めてくれるはずの近藤が席をはずしていた。
 いつもならここらで「まあまあ、二人とも」の声が入るはずだったのだが、近藤の代わりにその役を引き受けてくれる猛者は、残念ながら見あたらず。

「よぅし土方、そんなら剣で勝負といこうじゃねィか」
「バーカ。血ィ見るのはお前だぜ。ガキと勝負なんざできるかよ」
「アンタそんなこと言って、自信ないからじゃねーのかィ?」
「はぁ?何言ってんのお前。勝負にもならねえよ。お前が弱すぎて。俺が強すぎて」
「そやって逃げ口上ばっかなんて、オッサンは嫌だねィ。いくら俺が怖いからって」
「バッカじゃねーのお前。ガキと剣で勝負とか、馬鹿馬鹿しいって言ってんの」
「仕方ねーな。じゃあ武士の情けでィ。土方の不戦敗ってことで。俺の勝ちってことで」
「何だソレ。勝手に決めんな」
「負けたアンタは勝ったオレの言うこと聞いて、今すぐ道場から出てってくれィ」
「うわっ。どこまで手前勝手なガキなんだよ。お前が出てけ。今すぐ出てけ」

 そんなこんなで、土方にとっては不本意ながらも剣の勝負の運びとなってしまった。
 冗談ではない。どうしてこんな子どもと。
 自分より強い奴、粋がってる奴、喧嘩ふっかけてくる奴、気に入らない奴、今までのしてきた相手に対し、一分のためらいがあったことなどない。
 誰が相手であっても、そいつを倒す。少しの躊躇いもなく、今までは。
 なのにこの状況はどうだ。
 オレは今、本当に気が進まない。
 目の前の此奴は、どう見たって子どもじゃないか。いくら生意気だと言っても、年端もいかないこんな子ども相手に、どうしてこんな。

 稽古をつけるとか、そんな感じにならないであろうことは想像できた。
 やる気まんまんで構えているこの子どもは、本気なのだ。
 もう本気で自分を倒そうと思っている。

 この道場に来てから、なにくれとなく絡んできて、悪態はつくは悪戯はするわ、
 土方にとってこの子どもはうるさくてかなわなかった。
 挑んでくるのについつい付き合ってしまい、大人げないやりとりを毎日のように繰り返す。
 周りに子どもなどいたことがなかったから、かわし方など分からなかったし。
 でも、ちいさな身体で、全力でこちらを睨んできたりするのは。
 適当に流すには、この子どもが一生懸命すぎて。


「いきますぜ」
「仕方ねーな」

 そして。



「適当に負かして終わらせようと思ったんだよ」
 歩きながら、土方は訥々と昼の顛末を語る。
「だってそうだろ?子どもだぜ?」
 ばつが悪そうに言う土方に苦笑いを向けながら、近藤は黙って聞く。
「そしたらこいつが......」
 子どもだと思って、正直舐めていた。
 正面から、突いて終わりにしようと思っていたその時。
 木刀の切っ先が目の前だった。
 こちらの突きを交わして、眉間目指して突いてきやがった。
 驚いた。
 とにかく速かったんだよ。
 俺は驚いちまって、なんでこんな子どもからこんな突きがとか、詳しい事考える前に身体が動いちまった。
 本能なのかな。加減してたらやられるって。
 子ども相手なのにな。
 こっちも本気になっちまって、気が付いたら総悟に本気の一本かましちまった。
 あいつ、びっくりした顔して。
 こっちも動転してるし。
 あ、こいつ頭大丈夫かな。
 バカ野郎になったりしねえかな。
 俺のせいになんのかな。
 どうしよう。
 血ィ出ちまった。
 すまねえ近藤さん。
 ぐるぐると頭の中に言葉だけが回ってた。
 しばらく黙って俯いたまんまだったのに、道場の奴が手当してたら、急にこっち向いて、あいつ言ったんだ。
「...負けた方が出ていくんだろ。俺の負けでィ。出てく」
「そんな約束してねーよ。怪我しといて何言ってんだ」
「何でィ!アンタなんか...」
 言いながら、大きな瞳がみるみる潤んできた。
 かと思うと、くしゃっと顔を顰めて、手のひらをぐっと握りしめ、絞り出すように言葉を続ける。
「......アンタが...何もかも...っ」
 そこまで言うと急に踵を返して飛び出していっちまった。
 最後はなんか、顔ぐじゅぐじゅにして。
 一本やられて、怪我してんのに、その足の速いことといったら。
 道場の奴にアンタへの伝言頼んで、とにかく探して追いかけたんだよ。

 子どもの隠れる所って、思いつかないもんだな。
 オレは総悟がいつもどこで遊んでるのか知らなかったから。そこら辺の子どもの遊び場とか、見当も付かないんだよ。
 闇雲に走り回って。
 怪我もさせたしさ、とにかく青くなった。
 あんなに必死になったのなんざ、久しぶりだよ、近藤さん。
 結局追いかけてきたアンタと一緒に探して、そしたら河原の土管の中だってよ。
 しゃくりあげる声で見つけたんだからスゲーよな。
 子どもっつーのはおかしな所に隠れるもんなんだな。

 見つけた後も駄々こねてる総悟に手を焼いて、近藤さんが一緒じゃなかったら連れて帰れなかったかもしれない。
 でもとにかく。
 見つけてよかった。
 連れて帰ることになってよかった。


「......近藤さん」
「何だァ?」
「すまねえ。今回のはオレが悪かったな」
 雪が本格的に舞いだした河原で、背中の地蔵はますます重くなる。
「はは、いいさ。総悟もいい勉強になったろ」
 近藤はどこまでも暢気に、笑いながら。
「なんか不思議と意固地になっちまって。こいつ相手に引くに引けねえ。おとなげねえのは分かってるんだけどな」
「んー、仲いいからな、お前ら。」
「どこがだよ」
「総悟がな、お前には素直だろ」
「何言ってんの、アンタ、毎日俺らの小競り合い見てんだろ」
「甘えてるんだよ、こいつ。お前には素直に感情ぶつけるもんなあ。」
「嫌がらせの限りを尽くしてるじゃねえか。」
「それがほほえましくてな。実はお前らのやりとり見てると、オレは幸せな気持ちになるんだよ」
 どう考えてもずれている近藤の言葉に、土方は溜息をついた。
「......わかんねえなァ」
「あいつな、自分の気持ちを素直に表すこと、ほとんどないんだよな。もちろん悪戯だとかはするけどな。人を食ってばっかでさ。でも何がほしい、何が好き、何が嫌だは言わねえ。生い立ちにも関係するんだろうけどな。うちにきて、まあ少しずつ言うようにはなってきたんだけどな」
「...」
「姉ちゃんやオレにも、やっぱ遠慮してるところがあってな」
 ミツバや近藤には随分素直なのではないかと土方は思ったが、やはり長く接しているだけあって近藤にはいろいろ思うところがあるのだろう。
「お前が来てから、急に素直になったよ。嫌な顔するようになったし。思ったこと口にするし。お前らの直球の会話とか聞いてると、オレ時々涙が出そうになる。」
 だから仲裁に入るのが遅いのか。どんなんだよそれは、と心中でぼやきつつ、土方は聞く。
「お互いに、良かったと思ってな。総悟だけじゃなくて、お前にも。......総悟のアレも、お前憎しっていうんじゃなくてな。なんかライバル視っつーかさ。対等だと思ってるから突っかかるんだよな。面白えよな、こいつ。......お前も、わかってんだろ?」
「...そうだな」
「まあ、頼むわ」
 子どもを背負っている土方の肩をぽんとたたく。
「何を」
「これからも、こいつをよ」
「こいつの好きなの、アンタだよ。アンタとねーちゃんだろ」
「オレは全身で可愛がってる。これ以上無理くらい総悟のことが可愛いもん」
「はあ?」
「ミツバ殿もなあ。あれ以上は甘やかせないくらい可愛がってるからなァ」
「.........」
 そうだった。この二人がデロデロにこいつを甘やかしているからこそ、このように。
「......お前も、まあ、頼むわ。できる範囲でいいからよ」
 にいっと笑う近藤の顔を見ていたら、いろいろ考えてた些末なことがばからしくなった。
 背中の、重く生暖かいものの存在が、面倒くさいようでいてそれほどでもないような気もしてきた。
 可愛いっちゃ、可愛いのだ。
 何かと絡んでくるこの子どもが。
 本気で自分を倒そうと思っていたこの子どもが。
 倒して自分の居場所を守ろうと、必死になっていたこの子どもが、そう、可愛くて。

「......剣が」
「ん?」
「総悟の剣には、驚いた」
 土方は昼間の立ち会いを思い出しながら言う。
「あいつ、モノになるかもしれねェよ、近藤さん」
「ははは、神童だからな。親父が入れ込んでるし」
 道場主がよく総悟のことをそう呼んでいた。
 ふざけ半分なのか本心からそう思っているのか微妙なところではあったが、なにかと入れ込んで稽古をつけていた。
「うん」
「そのうち俺らも追い抜かれるかもしれねえな。」
「そしたら今日の勝負は、トシが総悟から取った唯一の一本になるかもな。」
 はははと笑いながら言う近藤は、でもこれが只の冗談ではなくなるような予感がしていた。
「記念すべき一本かよ」
「記念日にするか」
「バカじゃねえの」
 笑って、帰り道を行く。
 うっすらと道に残りだした雪を眺めながら、土方と近藤は足を速めた。
 あの道場に帰って、総悟が目を覚ましたら何と言ってやろう。
 どうせ最後は喧嘩になるだろうが、総悟の顔を見て、何かとにかく話したかった。
 土方は背中の子どもを落とさないように、様子を見ては背負い直した。
 大事なものを扱うように慎重にやっている姿を見て、近藤は微笑む。
 辺りは次第に暗くなって、雪の白が舞う様子ばかり目に入る。
 冷気にさらされているはずなのに、土方は不思議と寒さを感じなかった。


 雪の中、道を急ぐ彼等の姿。
 愛しい子どもは眠ったまま。
 宵闇の道に、二人分の足音が響いていた。


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